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雑記

愛犬の死から一日【君は今日も私の一部】

ショコハジロです。

愛犬が亡くなり、一日が経ちました(昨日の記事)。昨日の今頃は、ちょうどお骨を拾っている頃だったなぁ。

昨晩はというと旦那の話も上の空、いざ寝るとなってベットに入って、旦那の腕の中で大泣きし始めるという始末。酷い状態でしたね。

旦那も仕事から疲れて帰ってきて眠いだろうに、私が一方的に話す愛犬の今日の話、病気の話、思い出話をめんどくさがらずに聞き、抱きしめてくれました。夜中の1時とか2時とか、そんな時間になってたと思う。ごめんよ。その後はすっかり旦那に寝かしつけられ、なんとか寝付くことができました。ほんとありがとう。。

 

まぁ当然ながら他の兄弟も酷い有様だったようで

今日の昼間、母からLINEがあり「ラーメン食べに行くけどくる?」との事だったので一緒に食べにいきました。

しかし、日曜日だというのに弟2人は一緒にいかないという。なんでも、昨日の夜はやっぱり実家も酷いものだったようで。22歳の弟は泣きながらお酒に溺れ、今朝はすっかり二日酔いで来れない。そして20歳の弟は昨晩台所に立つたび愛犬の名前をつぶやきながらぼんやりして、昨晩はずっと寝られず今朝やっと寝付いたため来れない。私だけでなく兄弟もものすごいダメージだったみたいですね。唯一14歳の妹はまだ実感していないのか?割と平気そうにしていましたね。ショックなことはショックでしょうけど、まだ理解しきれていないのかもしれません。

 

いなくなって寂しいけど、いなくなっていない

ふと思う事があります。愛犬がいなくなってしまい寂しい私の都合の良い解釈とも言える、というか多分そうなんでしょうけれども。

愛犬は亡くなってしまいましたが、今日も私の一部です。主に脳の一部なのかな。思い出や記憶はもちろん、「私」という人間の構成には確実に愛犬が反映されていると思う。中学1年生の時からずっと一緒だったんですから、一部になっていない訳がないですよね。

猫派から犬派に変わったのは愛犬のせい。

犬は人間の言葉や感情を理解するほど敏感だと愛犬は教えてくれた。

愛しい者の撫で方は今でも愛犬をなでる時の手つきだ。

愛犬のような純粋さは、愛される対象だという事。

癒しとは、どれだけ人に良い効果をもたらすか。誰かと添い寝する幸せ。教えてくれたのは愛犬。

そして、大事な命を亡くした時の感情を教えてくれたのも愛犬だ。

私の人格や考え方に少なからず愛犬は影響を及ぼしているのだ。だから、愛犬は亡くなってしまったけれども、今日も私の一部であり、私が亡くなるまでずっと私の一部として生きるのだ。だから、愛犬はいなくなってしまったけれども、実は私や、同じように兄弟が生きる限りいなくなる事はないのだ。

愛犬が居たからこそ今の私がある。私の一部は愛犬で構成されている、そう思ったら、少し寂しさが軽減されたかな?

 

愛犬が亡くなる朝の夢は

昨日の記事でも話した、愛犬が亡くなる朝に見た夢。愛犬が元気に走り回っているという夢だ。

もしかしたら、その時既にお迎えの霊が来ていてそろそろ逝くよ、って話をされていて、急いで私の所に来て夢を見せたのかもしれない。もう逝っちゃうけど大丈夫だからね!って、私が不安にならないように、泣かないように元気づけてくれたのかもしれないなぁ。私が泣いていると、本当に心配そうに困った顔をする犬だったから。

というのも亡くなる晩、実家で寝ていた弟が夜中起きて「こわい」って感覚に陥ったのだそう。多分、これお迎えの霊来てた時だったんじゃないかな?

妄想しすぎと言われればそれまでなんだけど、なんだかそうかもしれないと思ってしまって。最後の最後まで優しい犬だったなぁと思ってしまって。

 

そっちの世界で、ちゃんとお友達つくるんだよ!

愛犬はびびりだったから、そっちの世界でお友達を作れるか少し心配だ。

自分より大きな動物にはもちろん、自分より小さな動物にも怯える始末の犬だったからなぁ。しまいにカエルに怯えていた事もあったな!?

しかし、母は何故か「愛犬は鹿の友達を作るよ」と言っている。何故だ。

鹿でもタヌキでもいいから、ちゃんと友達つくって、そっちの世界で楽に充実して過ごせるといいな!あ、もちろんたまには私たち家族の事は思い出してくれよ!ね!!

 

早く立ち直らなければとおもいつつ、今日も引きずってしまった!

未練だらけのショコハジロでした。